【阿部物語 Ⅰ】 憧れの自衛官

私は、昭和17年徳島県の草深き田舎に生まれました。
兄が警察予備隊に入隊していた関係上、兄のような自衛官になることを目標にしていました。
33年中学3年の時、自衛隊生徒4期生を受験、見事不合格、当時の作文に私を自衛隊生徒に合格させてくれたら給与は一切不要という趣旨の内容を書きました。拙い作文も今では懐かしく思い出されます。
昭和33年、海上自衛隊を受験、面接で陸上自衛隊に回されました。危険な落下傘部隊(300回降下)を志願した理由は、少しでも多く両親に仕送りし、親孝行がしたいためでした。

出生家
【阿部物語 Ⅱ】 高校・大学に学ぶ

上司の勧めで千葉敬愛高校に3学年編入、勤務を終えての通学は遅刻の常習犯、勉強も眠くて真剣に取り組んだ記憶がない。
卒業後、上司の勧めで27歳までに大学を卒業すれば、幹部候補生の受験資格があると言われ、日本大学通信教育部に入学。入学は易しく卒業は難しい。
4年間水道橋や姉妹校の帝京大学(学園紛争のため)にスクーリング通学、豊島区の豊山高校での実習教育。4年間で170単位取得し、半年に1回上司に単位の成績を報告した。

【阿部物語 Ⅲ】 自衛隊は人間教育の場

35年の内、多くの期間を課程教育、集合教育で教育を受ける。
特に苦しかったのはレンジャー集合教育で、房総の山地を重たい装具を身に着け、どんなに苦しくとも不平・不満・愚痴・泣き言を言うべからずの合言葉で3ヶ月間耐え抜いたこと、また基本降下(落下傘)課程では恐怖心と闘いながら降下し、ウイングマークを授与された時の感激は未だに脳裏に焼き付いている。この教育で体力・気力に自信がつく。ありがとう自衛隊。

落下傘部隊イメージ
【阿部物語 Ⅳ】 仏門に学ぶ

私は、将来の進路として僧侶か政治家になりたい願望をもっていました。田舎では僧侶は尊敬される職業でした。在職中、僧侶になるため京都の仏教学院に入学。学院は僧侶課程と学習課程の2コースがあり、就学期間は3年間です。僧侶課程への入学は、僧籍を必要とし、私は市内の寺に僧籍を付与して頂くため2箇所訪問し、断られました。僧侶への志断ち難く、とにかく学院に入学、毎週日曜日は東京築地の本願寺別院で学科やお経の勉強をしました。
3年目を迎えた時、僧侶課程と同じ内容を勉強し、単位取得しても得度できないことを知り、辞めました。学院では折角勉強したのに休学してはどうかとのアドバイスも頂きましたが、思い切りよく諦めました。

【阿部物語 Ⅴ】 政治家を志す

僧侶の希望を絶たれた私は議員の道に進みます。地盤、看板、カバンのうちどれも該当しません。退官数年前になり気付いたことですが、定年退官を待っていると5年先にならなければ市議会議員の選挙に立候補できないことを知り、悩みました。私は、退官1年前に退職する決意を固め、上司や同僚に相談しましたが、反対されました。理由は退職金や年金の減額。そして最も深刻なのが基本給が最高号俸で恵まれていた俸給を棒に振って、無職無収入の8ヶ月間、当選の保証もない議員に立候補する理由が見当たらないということでした。

【阿部物語 Ⅵ】 退路を断つ

私が、退官時に決めたことは、自分自身の退路を断つことです。四街道市のために何ができるのか、政治を学び、志す決意をし、政治への道を進むこととしました。

【阿部物語 Vll】 皆様への感謝

選挙の仕方も知らない私の行動方針は、朝6時前から8時過ぎまで毎日バス停を転々と変え、幟を掲げ、皆様に挨拶することでした。娘が大学に通っており、落選したら大学を辞めて就職すると言い出したので、落選するわけにはいきません。朝立ち後、休息しそして個別挨拶、背広2着と靴2足をすり減らしました。その甲斐あって当選させて頂きました。皆様に感謝しております。

街頭演説
【阿部物語 Ⅷ】 身を挺しての議員活動

議員当選翌年、違法な野焼きをしている業者の活動を制止。身を挺して四街道の環境を守りました。

【阿部物語 Ⅸ】 四街道を守る使命

若い時に鍛えた体力も取り崩したので、四街道走友会に籍をおき、軽いジョギングを心掛け、未だ大空への憧れ絶ち難く、数年前にエンジン付のパラグライダーと山の斜面から滑空するパラグライダーを購入。いつか四街道の上空を飛びたいと思っています。今は四街道を守ることを全力に政治活動に邁進しています。